サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ (Santo Domingo de la Calzada)
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19世紀の歴史家メリーノ・ウルリタによれば、かつての地名はオスカバルテ(Ozkabarte)であったが、現在は完全に失われてしまっている.
11世紀のサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダは小さな村落にすぎなかった. 歴史上に初めてその名が現れたのは1136年で、1141年には住民に特権が与えられた. 住民は、教会と、聖ドミンゴが建てた施療院の周囲に定住していた. 聖ドミンゴはオハ川に橋を架け、森を切り開き、土地を浄化して、ログローニョとブルゴスの間を通るローマ街道に似せて街道を建設した. 彼は自らのつくった街道を巡礼者が大勢行き来するようになると、巡礼者のために施療院を建てた. 1250年まで村は修道院長が治めており、その後は王領となった. 王領となってからログローニョへと向かう主要道が通り、聖堂が建てられた. アルフォンソ8世時代に2度特権が授けられ、次第に人口が流入し地区が次々と拡大していった. 19世紀にログローニョ県が設置されると、サント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダは、コマルカの、そして裁判管轄区の中心自治体となった.